42番はメジャーリーグの永久欠番

阪本一史

2008年10月24日 18:02




中学生の頃に読んだ自伝でぜひ子供向けにも出版してほしい本があります。その人の名はジャッキー・ロビンソン。黒人初の大リーガー。
1940年代、ドジャースのブランキー・リッキー会長はメジャーリーグの人材難を救うために黒人選手の登用を考えていました。しかし、その時代は人種差別が激しく、そんなことをするとどんな非難を浴びるかわかりません。ことは慎重に運ばなければなりませんでした。そこでリッキー会長が目をつけたのが黒人リーグでプレーする人格の優れたジャッキー・ロビンソン選手。リッキー会長は彼をスカウトし、「3年間は、どんなひどい仕打ちをうけても罵声をあびせられても絶対に報復しないことができるか?」と尋ねました。すると、ジャッキーは「あなたがこの賭けに賭けるなら約束します。」と答え入団が決まりました。1946年、ドジャースのファーム、モントリオールロイヤルズに入団し、観客に罵声をあびせられながらも素晴らしい成績を残し、翌年、メジャーのドジャースに昇格します。するとチームメイトには黒人と一緒にプレーするならトレードに出してくれと言う選手が出たり。黒人のいるチームとは試合をしたくないという対戦チームも現れたりとすごい拒否反応。ジャッキーはひどい野次や仕打ちにも耐えながら、紳士的な態度をとりつづけ、好成績も残していきました。やがてその日がやってきました。8月のカージナルス戦で相手チームの選手にわざとスパイクされ足を切ってしまいます。その時チームメイト達は彼をかばうために猛抗議します。チームメイト達は彼を受け入れました。その年ジャッキーは新人王を獲得し、ファンも彼を認めます。その後、10年間メジャーでプレーして素晴らしい成績を残しました。平然と汚い野次や仕打ちに耐えてきたように思われますが、実はノイローゼ寸前まで追い込まれていたそうです。彼のおかげで黒人選手に門戸が開かれ、他のスポーツにも影響を与え、後々の日本人メジャー選手へとつながっていきます。
1997年、彼のメジャーデビュー50年を記念してセレモニーが開かれ、クリントン大統領も出席し、次の言葉を残しました。「すべてのアメリカ人は、ジャッキーに感謝しよう。彼のおかげで、アメリカはより強く豊かな国になれた。次の世代の明るい未来のために、彼の遺産を大切にしていこう」と。ジャッキーの背番号42番はメジャーリーグの永久欠番とすると発表されました。彼がデビューした4月15日はジャッキー・ロビンソンの日とされ、この日だけはどの選手も背番号42番を着用することが許されます。チームによっては全員が42番を着用するほどです。
ジャッキー・ロビンソンはアフリカ系アメリカ人の最初の英雄です。彼のおじいちゃんは奴隷でした。野球の歴史を変えたヒーローはたくさんいましたが、その国の歴史を変えた野球選手は彼だけでしょう。

彼が残した名言です。

一流になれ、そうすればものが言える

ジャッキー・ロビンソン物語動画

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